秋山木工の社長「秋山利輝」

迎賓館や国会議事堂、宮内庁、有名ホテル、高級ブランド店などでも使われている特注家具を作る家具職人でありながら、多くの職人を育てています。

人間性を重視した独特の職人育成制度は業界の内外から注目を集めています。

今回は、秋山木工の社長である「秋山利輝」の今までの歩みと、親方としての考え方を話していただきました。

通信簿はオール1だが、村で一番手先が器用だった少年時代

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どのような少年時代を過ごしていたのですか?

秋山:中学を出るまで通信簿はずっとオール1。中学2年生になって、やっと自分の名前を漢字で書けるようになるレベルでした。

そんな調子なので、国語と英語の時間はいつも立たされてばかりでした。

だけど、学年の200人中ただ1人、小中の9年間皆勤だったんです。

オール1で毎日立たされてばかりいたら、普通学校なんか行きません。

なのに皆勤賞を取るってすごいと思われませんか?笑

 

家具職人の道を選んだきっかけは何ですか?

秋山:学校の成績はオール1でも、どういうわけか手先だけは村で一番器用でした。

家は村一番の貧乏で、八畳一間のぼろ家だったのですが、雨風で吹き飛ばされそうになった時、家をいつも修繕していました。

その度に、近所のおばちゃんたちから「あんた上手にやるね。」といって、棚を作ったり、雨戸などを修繕を頼まれていたんです。

中学2年生のときには、画期的な2階建ての鶏小屋をつくりました。卵がコロコロっと転がってくる仕組みの鶏小屋です。

注文家具屋で丁稚を経験し、職人として成長

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実際に丁稚となって、どのような経験をされましたか?

秋山:中学を出ると、大阪の注文家具屋さんに弟子入りしました。

当時の大阪でも丁稚制度はほとんど消えていたので、本当に最後の最後の丁稚でした。

その親方のところには約7年間いました。

弟子入りをするまで村一番器用と言われていましたが、ここで全然通用しない現実にぶち当たります。

先輩にはまったく歯が立たないことを思い知らされたのです。

3年半ほど経った時、「自分は職人になんかなれない」と大泣きしたことがありました。

しかし、「オール1の自分が他に行くところもない。もう一踏ん張り頑張ろう!」と心に決めたら不思議なことが起こりました。

自分でも驚くくらい半年の間に技がメキメキと上達し、丸5年で職人となりました。

 

なぜ自分が変わったと思いますか?

秋山:半年で大きく成長した理由は、自分がアホだということを発見したからです。

それまでは頭のどこかに村一番器用という意識がありましたが、親方の前でボロボロと泣いた瞬間、プライドを捨て去りました。

以来「そんな小さなことまで」と思われるくらい、兄弟子たちに何でも質問して教えを受けるようになったのです。

「世の中は広い」更なる高みを目指した経験から秋山木工を設立

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秋山木工設立の経緯は?

秋山:7年働いたとき、既に大阪一になっていた親方のもとを自分から離れます。

そのとき22歳で、今の金額で月100万稼げる職人になっていました。

しかし、いろんな家具屋に出入りし、優秀な職人に接しながら「世の中は広い」と実感します。

そこで「ここにいたら親父さんを超えられないし、日本一にもなれません。やめさせて下さい。」と申し出て、伊丹の家具屋に行きました。

ここには名人と言われる人が10名揃っていたので、自分の腕を試そうと思ったんです。

この会社でも月100万稼ぐプレーヤーとなり、会社のご恩に報いることができました。

その後、杉並の会社、そして次に勤めた大手デパートの特注家具部門の仲間とともに、神奈川の川崎に秋山木工を立ち上げたのは昭和46年の話です。

丁稚奉公をしたり、親方のもとを離れたり、異なる環境に飛び込んで得た経験は、秋山木工でのいまの教育のすべてに生きています。

日本のために自分を超える職人を育てる

秋山木工独自の研修制度の考え方は?

秋山:丁稚たちは24時間、親方と向き合っていきます。

親方が50年間培ってきた技術から礼儀作法まで、何から何までわずか4、5年で伝授してもらえるわけですから、これだけ効率的なやり方は他にないんです。

秋山木工では、職人としての腕だけでなく人間的に優れた人を育てたいと考えています。

お客様から注文をいただいたら、

「はい、分かりました。喜んで作らせていただきます」

と謙虚にお受けして、しかも誰にも負けない素晴らしい家具を作れる人を育てたいんです。

人間力が技術より大事だと考えています。

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秋山:また、秋山木工では、教育方針の一つに親孝行があります。

自分の両親を喜ばせない人間が、他人様を喜ばすことなんてあり得ないし、起こりえないと考えているからです。

見習いを含めた丁稚生活の5年間は電話禁止ですが、手紙は奨励しています。

それに、スケッチブックを月に2回送って、親御さんにコメントをいただくことをしています。

丁稚や見習いたちは、皆それを読んでは泣いています。

スケッチブックは5年間で70冊ほどになり、続けていくと、それまで仲の悪かった親子でも絆が深まっていくのを感じるんです。

丁稚生活を終える頃には、自分の両親に対して「生んでくれてありがとう」と心から感謝の言葉を言えるようになる。そういう姿に接するのが嬉しくて嬉しくて、ここまで仕事を続けてきたと言ってもいいくらいです。

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丁稚たちを生まれ変わらせるために必要なことは?

秋山:丁稚たちが生まれ変わるためには、親方の本気度が大切です。

僕は「頑張るとか、一生懸命といったレベルの低い話はするな」と常々話しています。

丁稚たちには年に10日ほどの休みがありますが、僕自身は休むことがほとんどありません。

せめて正月だけはと思うんですが、1年の計を立てる最も大事な日と思うと、休む気になれません。

丁稚の10倍働く。それがリーダーの姿勢なのだと思います。

僕が職人を育てるのは自分のためでなく、この日本をよくするためだ、と常に自分で確認しているんです。

僕を超える職人を最低でも10人育てないかぎり、社会への恩返しはできないと考えています。

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秋山利輝(あきやま・としてる) プロフィール

秋山木工グループ 代表

一般社団法人秋山学校 代表理事

 

1943年、奈良県生まれ。

中学卒業とともに家具職人への道を歩き始め、1971年に有限会社秋山木工を設立。

秋山木工の特注家具は、迎賓館や国会議事堂、宮内庁、有名ホテル、高級ブランド店などでも使われている。

2010年には一般社団法人秋山学校を設立、代表理事を務める。

人間性を重視した独特の職人育成制度は業界の内外から注目を集め、

国内はもちろん、中国、アメリカやロシアなど、海外からも多くの方が見学に訪れている。

テレビ、雑誌などメディアからの取材も多数ある。

著書に『一流を育てる 秋山木工の「職人心得」』(現代書林)

『丁稚のすすめ 夢を実現できる、日本伝統の働き方』(幻冬舎)

関連DVDにドキュメンタリー映画『一流を育てる』(現代書林)、『丁稚 わたし家具職人になります』(オルタスジャパン)がある。

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