1.丁稚(でっち)とは

まず、今ではあまり馴染みのない丁稚について説明します。

丁稚とは、商家に年季奉公する幼少の者を指す言葉で、江戸時代に特に多かったと言われています。

江戸時代のものづくりの現場は、弟子が親方のところに住み込みで働く制度をとっていました。

弟子たちのことを、関東では、坊主や小僧と呼びましたが、関西では丁稚といって、親方と生活を共にしながら技術と心を伝承し、一人前の職人になっていったのです。

dech

出典:江戸散歩

経営の神様と言われる松下幸之助や、自動車メーカー「HONDA」の創設者である本田宗一郎も丁稚の経験があり、そこで多くを学んだと言われています。

専門的な技術を学べるのはもちろん、人間性を育むことができる仕組みなのです。

現在ではほとんどこのような制度は残っていませんが、丁稚の仕組みを取り入れているところがあります。

それが秋山木工なのです。

2.秋山木工「現代の丁稚」

秋山木工では、家具職人見習いの若者を「丁稚」と呼び、丁稚たちは寮での団体生活を通しての基本的生活習慣から、本格的な木工技術まで学んでいきます。

特に、一流の職人になるためには「人間性が第一」との考えにより、日々人間性を磨く訓練もしています。

_SP_8594

2-1.独自の職人研修制度

秋山木工では、独自の「職人研修制度」を設けています。

1年間の「丁稚見習いコース」を終了後、「丁稚」として4年間で基本訓練、段取り、職人心得などを学びます。

_SP_0314

4年間の丁稚修業を経て、職人としての技術と心を身につけた者だけが、職人として認められ、名前入りの法被を渡されます。

そこから8年目までの3年間、職人として働きながら、さらに修業を続けます。

職人として必要なすべてを身に付け、9年目からは独立してもらいます。

グループ内で独立したり、他の工房に就職して勉強を積む職人もいます。

また、地元に戻って独立したり、自分自身が世界に通用するブランドとして活躍する職人もいたり、独立の仕方は人それぞれです。

2-2.育てた職人を8年で独立させる理由

_SP_0258

秋山木工では、やっと育てた職人を戦力とせずに、8年で独立してもらうことにしています。これには秋山社長なりの理由があるのです。

社長の下にずっといたら、秋山木工でしか活躍できない職人になってしまいます。

世の中の役に立つ職人、何十年も何世代も使える本物の家具を提供できる職人を育てるのが秋山木工の役目です。職人を私物化し、手足として働かせてはいけないのです。

それに入社して8年といえば、だいたい25~30歳の伸び盛りです。

一流の職人として成長するためには、その時期にあえて別の環境に移って修業する必要があります。他の工房に移るときは、さらに成長できるところを選びます。

秋山木工の職人は、技術も人間性も高いので、どこも喜んで引き受けてくれます。

今までに50人を超える職人たちが秋山木工から巣立ちました。皆、家具職人として全国で活躍しています。世界で活躍している職人もいます。

2-3.徒弟制度は一流を育てる仕組み

_SP_0335

技術は、繰り返し練習すれば、誰でも習得できます。しかし、心はそうはいきません。

技術はもちろん、人間的にも成長し、感謝の心を身につけなければいけません。素直さと感謝がなければ、人は成長できません。

弟子たちには、「親孝行をしたい、親を喜ばせたいと思わなければ一流の職人にはなれないよ」と言っています。

秋山木工で育てたいのは、「できる職人」ではなく、「できた職人」です。

「できた職人」とは、常にお客さまを喜ばせたいと思う心を持った人、不測の事態が起こっても、堂々と自信を持ってその場を乗り切れる判断力を持った人。

お客さまとスムーズに話せるコミュニケーション力を備えた人。家具や材質について、どんなお客さまともしっかりお話ができる人のことです。

そんな「できた職人」を育てるには、徒弟制度が一番いいのです。

3.まとめ

24時間一緒にいれば、親方や兄弟子が何をどうやるか常に観察できますし、技を盗むこともできます。弟子同士がお互いに教え合い、助け合うこともできます。

師匠が手本を示すと、それを見ている弟子は同じように育つのです。

この「仕組み」なら、技術と心、そのすべてを教えられるのです。

心が一流なら、技術も必ず一流になります。

この記事をシェアする